1992年の「精神薄弱】用語問題:議論2・『AIGO:精神薄弱福祉研究』(日本精神薄弱者愛護協会)1992年 第39巻 第5号から 第7号を中心に

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タイトル
1992年の「精神薄弱】用語問題:議論2・『AIGO:精神薄弱福祉研究』(日本精神薄弱者愛護協会)1992年 第39巻 第5号から 第7号を中心に
著者
氏名 鶴田 一郎
ヨミ ツルタ イチロウ
別名 Ichiro TSURUTA
抄録

要旨:知的ハンディキャップを持つ人を、どう呼称するかは、現在に至(いた)るまで議論が途絶(とだ)えることが無い。それは、どのような「用語」を用いても変わらない。本研究では、筆者の師である伊藤隆二(いとうりゅうじ)教授が提唱している「『障害児(しょうがいじ)』から『啓発児(けいはつじ)へ」の思想を研究の出発点とする。近江(おうみ)学園の創立者・糸賀一雄(いとがかずお)氏は「この子らを世の光に」と言われたが、伊藤教授は、それを更さらに進めて「この子らは世の光なり」と主張される。なぜ「この子らは世の光なり」なのか、また、なぜ「障害児」ではなく「啓発児」なのか、ということを本研究は解(と)き明(あ)かしたい。その際、1992年に特に集中した「精神薄弱」用語問題に関する議論を中心に考察を進めるのだが、今回は、1992年の日本精神薄弱者愛護協会『AIGO』第39巻第5号から第7号「再考“精神薄弱”の呼称と人権」【Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ】に焦点を当てて検討を進めた。その際、それぞれの「巻頭言」を引用し、更さらに、それを伊藤隆二の見解と対照させることによって本研究の問題点を明確にした。すなわち「用語」は、それを提唱する人の「発達観」「人間観」が大きく反映され、そのことを欠く議論は単なる「名称変更」以外の何でもなくなる危険があるということである。最後に、まとめとして、糸賀一雄の「この子らを世の光に」の思想を、伊藤隆二の「この子らは世の光なり」の教育思想と比較対照しながら、「発達保障」「同行者どうぎょうしゃ」という観点から論じた。

掲載雑誌名
広島国際大学 教職教室 教育論叢
13
開始ページ
1
終了ページ
20
出版年月日
2021年12月
出版者
広島国際大学 教職教室
ISSN
1884-9482
本文言語
日本語
資料タイプ
紀要論文
著者版フラグ
出版社版
ソートキー
001
区分
hirokoku-u